プジョーで訪ねた灯台訪問記、これからはオーラで

主に沿岸灯台の訪問記です。根元到達を目標にしています。   ★ タイトルバックは香川県 鞍掛鼻灯台 ★

灯明台や燈籠堂

2024/3/20に訪問した、福岡県の小倉城に建つ幻の白洲灯台かな?
(Canon SX70HS  F4.0  S 1/800  ISO 100)
IMG_8039



3/20は、ちえ蔵さんの企画で、船で白洲灯台へ渡る予定の日だった。
が、3/18の午前中に早々と中止の連絡がきた。
春の嵐くらいの予報になってるとかで。

私はこの連絡を、田島灯台から戻った時に知った。
まあ、天気の事なんで仕方ないですね。


ということで、3/20の予定が丸々空いてしまった。
どうする?
3/20の朝から大阪へ帰る?
いやいや、もしかして予報も外れるかもしれん、藍島に渡って白洲灯台と大藻路岩灯台の望遠撮影をする?




定期船が出てたら藍島へ渡ると決めて、3/19は「道の駅 むなかた」で車中泊。
風が強くて、時々車も揺れるほどだった。
やっぱり定期船も無理かな?



3/20
8時過ぎ、藍島行きの定期船乗り場にやってきた。

やっぱり。
予想通り、「欠航中」と掲示があった。
DSC_1450



せっかくここまで来たので、小倉城に建つ幻の白洲灯台へ行ってみる。



白洲灯台に行く予定だったので、3月に入って白洲灯台の下調べをした。
調べるといっても、ネットでちょっこと調べただけなので、伝聞のまた伝聞です、悪しからず。
この時に、小倉城に幻の白洲灯台があるのを知った。

★★
この白洲灯台は、昭和38年の5市合併による北九州市誕生に合わせて、「白洲」に灯台を建設するために一生を捧げた郷土の偉人「岩松助左衛門」の偉徳を偲ぶと共に水難救助のために尽くした功績を後世の市民に伝えるために建てられたらしい。

岩松助左衛門は、多発する「白洲」の周囲の浅瀬への乗り上げる海難を防ぐため、江戸時代末期から明治時代初期にかけて私財を投げ打って、この灯台の建設に奔走したが、明治5年(1872年) 建設工事が始まるも完成を見ず亡くなる。

その後政府に引き継がれ、11月の仮点灯を経て明治6年9月に正式灯台となる。
どうも建てられた初代灯台は、岩松助左衛門が発案したものではなく、明治政府が依頼したリチャード・ヘンリー・ブライトンの設計によるものだったらしい。
ここに、当時の灯台の写真がある。

では、小倉城に建つ白洲灯台とは何?

岩松助左衛門が明治政府に提出した図面をもとに建設した、幻の白洲灯台ということになるのかな?

★★


8時半ごろ、小倉城の駐車場へ停める。
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城内へ。
IMG_8033


ネットの情報では、小倉城は朝9時開門となっていたが開いていた。
6:00に開くようだ。
白洲灯台の場所も記載されていた。
ここの右手方向だった。
IMG_8034


見えた。
小倉城内に建っていても何の違和感もないたたずまい。
(Canon SX70HS  F 4.0  S 1/400  ISO 100)
IMG_8036


近くまで行っての一枚。
(Canon SX70HS  F 4.0  S 1/250  ISO 100)
IMG_8038


この幻の白洲灯台の正式名称は、「白洲灯台岩松翁記念塔」ようだ。
納得。
IMG_8045


最後は後ろ側からの一枚です。
(Canon SX70HS  F 4.0  S 1/1000  ISO 100)
IMG_8046


さあ、今から大阪へ帰ります。


ではでは。


灯台訪問一覧表は以下。
【北海道・本州編】
【四国・九州編】
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2023/12/8に訪問した、 鹿児島県指宿市西方に建つ宮ヶ浜港燈籠です。
バックは、噴煙を上げる桜島。
(Nikon COOLPIX P950  F 4.0  S 1/60  ISO 100)
DSCN7477



昨日は、6時頃に山口県の「道の駅 きららあじす」を出発して、ひたすら一般道を走り20時過ぎに「道の駅 いぶすき」に着いた。
途中に立ち寄ったのは、コンビニに数回と夕食に「すき家」、喜入八幡温泉で風呂に入っただけ。

自宅からだと、2日かけて886㎞走っていた。
いやあ~、さすがにきつい。
体中の関節がガチガチになった。


12/8(金)
鹿児島県の1日目、7時過ぎに来た場所は、「道の駅 いぶすき」からちょっと南の宮ヶ浜港。
IMG_7896


ここには、江戸時代に作られ今も使われている石畳の防波堤とそこに建つ燈籠がある。
(Nikon COOLPIX P950  F 3.5  S 1/100  ISO 100)
DSCN7479


その燈籠の前の説明の石碑。
これには、
「宮ヶ浜港に約215mにわたって伸びる石畳の防波堤は、天保5年(1834)当時の藩主島津斉興の命によって建設されたもの」
とある。
燈籠についての記載はないが、同時期に作られたものなんでしょう。
(Nikon COOLPIX P950  F 3.2  S 1/60  ISO 100)
DSCN7481


燈籠の根元まで行くと、周囲をネットで囲ってあった。
石のつなぎ目をモルタルで補強してあったが、それもかなりずれてはがれている。
倒壊の恐れがあるので近づくなということだろう。
(Canon EOS Kiss X9i  F 5.6  S 1/80  ISO 160)
IMG_7898


(Canon EOS Kiss X9i  F 5.6  S 1/60  ISO 160)
IMG_7899


防波堤は東に向いての撮影になるので、シルエットになってしまった。
(Canon EOS Kiss X9i  F 7.1  S 1/100  ISO 100)
IMG_7901


先の方から陸の方に向いて撮るとこんな感じ。
コンクリートで補強して、現在も防波堤として使われている。
(Canon EOS Kiss X9i  F 5.6  S 1/60  ISO 125)
IMG_7904


次は、山川港番所鼻灯台へ。



灯台訪問一覧表は以下。
【北海道・本州編】
【四国・九州編】
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2023/12/6に訪問した、山口県防府市三田尻二丁目に建つ住吉神社の石造燈台です。
(Canon EOS Kiss X9i  F 7.1  S 1/100  ISO 100)
IMG_7881



今年の始めに渡船で渡った寺島灯台、そして5月に対馬の灯台でご一緒した、ちゑ蔵さんが企画する水ノ子島灯台のツアーに参加することにした。 
水ノ子島灯台は、12/10(日)なんだけど、せっかく九州へ行くので鹿児島まで足を伸ばそうと思い、2日間で大隅半島の灯台訪問を計画した。


これまでは九州へ行くときは、大阪南港から新門司までフェリーを使ってたが、今回は一般道で行ってみる。
距離はざっくり900㎞。
2日かけて鹿児島へ入る予定。



12/6(水)
朝4時ごろ、自宅を出発。
今日の車中泊場所は、山口県の「道の駅 きららあじす」。
その前に住吉神社の石造燈台へ寄ることにした。
明るいうちに着くか、ちょっと不安。


16:30
どうにかまだ日があるうちに着いた、距離にして大阪から437㎞。
さすがにしんどい、明日もまだ450㎞くらいある。
IMG_7878


住吉神社の住吉神社の石造燈台については、灯台横と境内の2か所に説明書きがあった。
「三田尻は、萩城に往来する表玄関として栄え、海上交通の安全を祈願するために住吉神社が創建され、そして、この石造燈台はその境内に1863年に建設された」
と。
IMG_7884

IMG_7885


詳しくは、新しい方の説明書をトリミングしたのでこちらを読んでくださいませ。
IMG_7885 (1)


道路側から撮ると、夕方の西向きの撮影になり逆光。
(Canon EOS Kiss X9i  F 8.0  S 1/125  ISO 100)
IMG_7879


境内側から撮るとこんな感じ。
(Canon EOS Kiss X9i  F   S 1/60  ISO 100)
IMG_78915.6


燈台の石の部分には文字が刻まれているが、さすがに風化していて判読できない。
(Canon EOS Kiss X9i  F 5.6  S 1/60  ISO 100)
IMG_7894


これが住吉神社。
(Canon EOS Kiss X9i  F 5.6  S 1/60  ISO 200)
IMG_7888


神社前はこんな感じ。
説明文にある、入川の河口だったんだろう。
IMG_7895


さて、「道の駅 きららあじす」へ。
ここからすぐかと思ったが、まだ30㎞以上離れてた。





灯台訪問一覧表は以下。
【北海道・本州編】
【四国・九州編】
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2022/2/11に訪問した、長崎県平戸市大久保町に建つ常燈の鼻です。
(Nikon COOLPIX P950  F 3.5  S 1/30  ISO 250)
DSCN5024



7:15
平戸港灯台を撮影後、平戸港のパーキングに駐車する。
DSCN5018


的山大島へ渡るフェリーの出発時刻までまだ1時間以上あるので、まずは常燈の鼻へ行ってみる。


★★
オランダ商館跡の北東隅にあたる一角に石積みの高台が、常橙の鼻と呼ばれている場所。
1616年(元和2)商館大増築の時、防波堤もかねて築造され灯台の役目をしていたもので、平戸港に出入りする船の航海の安全を図り、またオランダの三色旗(国旗)も立てられていた。
1989年(平成元)日蘭修好380周年記念事業の一環として、高台に常夜灯が設置されたと。
★★


駐車場所から5分もかからない場所にあった。
とりあえず、平戸城も入れた画を撮ってみたが、ちょっと暗い。
(Nikon COOLPIX P950  F 3.2  S 1/40  ISO 100)
DSCN5026


常夜燈を大きく。
(Nikon COOLPIX P950  F 2.8  S 1/50  ISO 100)
DSCN5028


別の場所から、石垣も入れた一枚。
(Nikon COOLPIX P950  F 3.5  S 1/50  ISO 100)
DSCN5049




最後の一枚は、的山大島へ渡るフェリーから撮ったもの。
(Nikon COOLPIX P950  F 4.0  S 1/60  ISO 400)
DSCN5062


次は、小田助瀬灯標の望遠撮影を。


岬の灯台訪問一覧表は以下。
【北海道・本州編】
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2021/6/10に望遠撮影した、広島県廿日市市の厳島の北に建つ聖崎灯台です。
(Nikon COOLPIX P950  F 6.5  S 1/500  ISO 100  3200mm相当)
DSCN3230





次は、聖崎灯台へ。


Google Mapで、亀石灯標の場所を調べている時、聖崎灯台という文字が目に留まった。
位置的には、厳島のすぐ北側。
こんな所に灯台があったっけ?

とりあえず検索してみる。


記事は何件かヒットするが、個人のブログが多い。
比較的、公けな「じゃらん」から、以下抜粋。

*********
聖崎の沖合にそびえたつ石灯籠があります。それが「聖崎灯台」です。
建造されたのは江戸時代末期の1844年(天保15年)です。
宮島は古より瀬戸内海航路の拠点として重要視され、多くの船舶が行き来していました。
聖崎周辺は浅瀬となっており、航行する船舶の安全のために灯台を設置したと伝わります。

石灯籠を模した灯台は全国各地に存在しますが、その多くは老朽化による解体、または移設、既に灯台としての役割を終えた物が殆どです。が、聖崎灯台は今でも現役の灯台として、宮島沖の大野瀬戸を行き来する船舶安全を守っています。
現在は太陽光発電により自然点灯いたしますが、昔は対岸の地御前の方々が海を渡って毎日点灯させていたそうです。
*********


という事で、亀石灯標の撮影の後に、R2からループの道路で海沿いの住宅街へと入って行く。


12:41
海の見える所へ駐車。
DSCN3225


撮影場所と灯台との位置関係は以下。
距離は、1.8㎞。
hiziri


まずは遠景。
小さくて見えない。
(Nikon COOLPIX P950  F 4.0  S 1/1600  ISO 100  24mm相当)
DSCN3226


ズームする。
(Nikon COOLPIX P950  F 5.6  S 1/800  ISO 100  700mm相当)
DSCN3228


大きくズームする。
大潮の干潮までまだ時間があるが、黒い所まで潮が来るんだろう。
(Nikon COOLPIX P950  F 6.5  S 1/500  ISO 125  4800mm相当)
DSCN3231


では、今から上蒲刈島へ。
早く着けば、鴨瀬灯台から黒瀬立標へ。


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2021/2/11に訪れた、神奈川県横須賀市西浦賀に建っている浦賀燈明堂です。
(Canon SX70HS  F 4.5  S 1/1000  ISO 100)
IMG_0234




次は、浦賀燈明堂へ。


Google Mapの航空写真では、空き地のような駐車場になっていたのだが。


11:05
現地へ行ってみると、なんとコインパーキングに変身していた。
ここでも駐車料金が要るん?
と思いながら駐車する。
IMG_0229


車を降り、駐車料金を確認する。
うれしいことに、最初の30分は無料だった。
得した気分。
IMG_0228


パーキングの前の道路を渡って、
IMG_0230


遊歩道を行く。
IMG_0233


すぐに、燈明堂に着いた。
(Canon SX70HS  F 4.0  S 1/1000  ISO 100)
IMG_0238



燈明堂の横に説明板がある。
IMG_0235


以下、説明板の要約。
★★

横須賀市指定史跡
浦賀燈明堂は、江戸時代に浦賀港の入り口の燈明崎に建っていた燈明堂である。
慶安元年、幕府の命により築造されたと伝えられる。明治5年に廃止になった。
その後、建物は風雨で倒壊してしまい、石垣だけが残った。
その石垣を利用して、平成元年に復元した。
建物は、鉄筋コンクリート GRC製木目模様外壁構造である。

★★


アングルを変えての一枚。
(Canon SX70HS  F 4.5  S 1/1000  ISO 100)
IMG_0236


次は、観音埼灯台へ。



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2020/11/29に訪れた、山口県周南市晴海町の晴海親水公園に建っている明治(東浜崎)の石灯台です。
(Canon SX70HS  F 6.3  S 1/1000  ISO 100)
IMG_9615



徳山下松港地ノ筏灯台の撮影のために、晴海親水公園に来た。
駐車場から芝生広場を海の方へ行くと、何やら灯籠のようなものが立っている。

反射的に写真を撮った。
(Canon SX70HS  F 5.6  S 1/1000  ISO 100)
IMG_9614


近くに行って、横に有った説明板を読む。
要約すると、
1893年に、当時の「共栄社」の代表の光永又之丞によって建立され、当時の東浜崎でランプにより点滅していた石灯台。
役目を終えた後も、徳山の明治を象徴する建築物として、平成14年に親水公園に移設された。
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説明板に行く時に撮った一枚。
(Canon SX70HS  F 6.3  S 1/1000  ISO 100)
IMG_9616


説明板の横から撮った一枚。
(Canon SX70HS  F 6.3  S 1/1000  ISO 100)
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次は、ここから見えている徳山下松港地ノ筏灯台の望遠撮影へ。



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2020/3/1に訪れた、広島県福山市鞆町に建っている鞆の浦常夜灯です。
(Canon SX70HS  F 6.3  S 1/1000  ISO 100)
IMG_0804


福山市のHPには、
「1859年に建てられた船の出入りを誘導してきた灯台で、高さは5.5m、海中の基礎の上から宝珠まで11mあり、現存する江戸時代の常夜灯としては日本一の大きさを誇ります。」
と、記載されている。




2/29の午後から夜にかけて、大阪から一般道を走り「道の駅 笠岡ベイファーム」で車中泊。
翌朝、トイレに行くために車から出ると、濃霧!!
一瞬、アチャー!!
濃霧が晴れると青空かもと思い直して、車中で朝食を済ます。
出発する頃には、濃霧もかなり薄くなってきた。
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まずは、阿伏兎灯台へ行くつもりで車を走らせたが、ナビのルートが鞆の浦の方から西へ向かっていたので、急遽予定変更。
2番目に行く予定だった、鞆の浦常夜灯へ。
しかもルートは、歴史博物館下にある市営駐車場の横の道だったで、ここへ駐車する。
車が通る道幅が狭いので、早い時間帯に来て正解だった。
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日曜日だが6時半とまだ早いので人影はあまり見かけない。
街中を抜けて、港へ。
対岸から常夜燈を撮る。
(Canon SX70HS  F 5.0  S 1/30  ISO 200)
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鞆の浦は古い町並みが残っていて、しっとりと落ち着いた感じ。
常夜燈に真っすぐ向かう通りは、石畳の街並みだ。
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ここを抜けると、正面に常夜燈が見えてきた。
昔ながらのポストやレトロな街灯がいい雰囲気を醸し出している。

なんとこの早い時間帯に、ガイドさん2人が案内する観光客が。
日本人でした。
(Canon SX70HS  F 8.0  S 1/30  ISO 100)
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近づいて下から見上げるアングルでの一枚。
(Canon SX70HS  F 8.0  S 1/30  ISO 100)
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最後は北西側からの一枚。
(Canon SX70HS  F 8.0  S 1/30  ISO 100)
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今度こそ阿伏兎灯台へ。

2020/2/29に訪れた、兵庫県明石市にある旧波門崎燈籠堂です。
赤白の防波堤灯台、その後ろは明石大橋があるのですが、あいにくの空模様で。。。
(Canon SX70HS  F 4.0  S 1/320  ISO 100)
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灯台に行き始めたころに一度行ったが、まともな写真がなかったので広島方面の灯台へ行く途中に寄ってみた。


旧波門崎燈籠堂は日本最古の石造り燈籠台で、国の有形文化財に登録されている。
旧波門崎燈籠堂は、明暦三年(1657年)に明石藩主松平忠国によって船人の目標とする燈明台として造られたといわれている。
燈籠部分は1953年に改修されており、鉄筋コンクリートになっているそうだ。


2019年の神戸新聞の記事では、観光資源として活用されていないと。
フェンスを外して灯りをともすなどの、当時の雰囲気を再現すれば観光スポットとしての存在感を増すだろうと。


個人的には、燈籠部分と屋根は木製で造り直して、灯りをともしてほしいとは思うが。。。
でもそれをしたとしても観光スポットにはならないだろうなあ。
(Canon SX70HS  F 4.0  S 1/640  ISO 100)
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(Canon SX70HS  F 4.0  S 1/400  ISO 100)
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今から一般道を走って、笠岡市にある道の駅 笠岡ベイファームへ。






2019/3/30に訪れた、愛媛県伊予市に建つ萬安港旧灯台(ばんあんこう)へ寄ってきました。
(Canon SX70HS  F 4.0  S 1/1000  ISO 100)
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佐多岬半島の付け根の室ノ鼻灯台から、松山市の波妻ノ鼻灯台へ行く途中の伊予市に、萬安港旧灯台があるので寄りました。

萬安港旧灯台は伊予市の市指定文化財に指定されています。

以下は伊予市のHPからの転載です。
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高さ622.1センチメートル、底辺幅235センチメートル、花崗岩(かこうがん)の石造の旧灯台である。五色浜公園の北端、現在の伊予港に面して建っている。明治2年(1869年)、郡中港の防波堤の修築にあわせて、約70メートルの石垣の先端に、それまで木造であった灯台を石造に改築したものである。大正元年(1911年)に現在地へ移築された。
築造した石には碑文が刻まれている。世話方・寄付者の名と「港口改築之為移転築台 大正元年十月廿五日 町長藤谷豊城」「石工今岡仲次郎」の名が記されているほか、海流が激しいため出入りの船が夜間大変難儀したが、この灯台が毎夜灯光を放ってくれるので破船の恐れがなくなったこと、昔は木造であったものを熊野芳雄(くまのよしお)が有志と相談して石造にしたことなどが刻まれている。
簡素ではあるが、明治初期からの近代建築の雰囲気を感じさせる建造物である。
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(Canon SX70HS  F 4.5  S 1/1000  ISO 100)
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2019/2/23に訪問した、岡山県備前市の大多府島に建つ大多府燈籠堂です。
(Canon SX70HS  F 5.6  S 1/1000  ISO 100)
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大多府島灯台から来た道を戻り、大多府燈籠堂へ行きます。
主要道に戻って坂道を下り始めた辺りで、左手に燈籠堂の頭が見えてきました。
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標識もあります。
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灯台からゆっくり歩いて20分で到着です。
(Canon SX70HS  F 4.5  S 1/1000  ISO 100)
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説明板です。(逆光は弱いです)
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説明板からの転載
本堂は、岡山藩池田綱政公治世の正徳四年(一七一四年)に建立され明治初年まで約百五十年間にわたり沖合を行く船の目印として、燈明が入れられた。今般昭和六十一年三月当時の台石の上に記念塔として再建されたものである。
規模
燈籠堂 高さ 10.91m
台石  高さ 1.80m
     上面 5.10m
     底面 5.70m
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この当時はこういうものを作るだけの財政に余裕があったんでしょうか。


日生行の船は10:12発ですが、港まで戻ります。
燈籠堂から10分で港でした。

到着時にあった待合所で休もうと思い行ったら閉まっていました。
使われていないようです。
ここの左奥に、大多府加子番所というのがあり、ここに休憩所の看板がありました。
中には入っていませんがトイレは使えました。
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到着時には見ていなかった島の案内板です。
燈籠堂はありますが灯台はありません。
よく見てみると、途中から遊歩道へ入って行った方が近かったみたいです。
(途中に左へ下りる擬木の階段が有ったのでそこが遊歩道でしょう)
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案内図の拡大です。下が北になっています。
オレンジが遊歩道です。
灯台位置は加筆しました。
annnaizu


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2019/1/26に訪問した、燈明崎の燈明台(復元)です。

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梶取埼灯台の説明板に、梶取崎に復元された灯明台があると記載があったので来ました。
太地中学校の横の道路に駐車しました。帰宅後に調べると、灯明崎園地公衆トイレの横にスペースがあるようでした。

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駐車場所から歩くこと2分、灯明台が見えましたが、思っていたよりかなり小さかったです。

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現地の説明板からの転載です。

紀州藩が常設した灯台で、夜間に沖を通る船に所在を知らせた。
「紀伊続風土記」には、「寛永13年(1636)、常燈明台を置きて廻船の標準とす。これより燈明崎の名あり」とある。燈明台は明治5年(1873)に廃止された。灯火の原料には鯨油が使われた。文化3年(1806)
の「森浦諸事控帳」によると、一晩に3合から4合が必要であったという。御崎神社の後ろには、灯火を管理した新宮藩士の住居跡と考えられる石垣が残っている。
現在燈明崎にある燈明台や山見台などは絵画資料等を参考に復元されたもので、現存する現物は燈明台の礎石と考えられる石材一基のみである。

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この燈明崎から見えた梶取埼灯台です。

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2019/1/14に訪問した、岡山県倉敷市児島味野に建つ旧野崎浜灯明台 です。
(Canon G1X Ⅲ  F 9.0  S 1/1250  ISO 500)
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旧九蟠港燈籠から30数キロ、1時間ほどかかって旧野崎浜灯明台へやってきました。

寄り道3ヶ所目です。当初の予定時間をかなりオーバーしています。
こんなに寄り道していると、予定している灯台に行けるか心配ですが。

とりあえずの1枚です。
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バックがすっきりしたアングルを探してうろうろした結果は、TOPの写真。
下の写真はイマイチかな?
(Canon G1X Ⅲ  F 10.0  S 1/1250  ISO 500)
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以下は倉敷市のHPからの転載です。

この建築は日本式木造灯明台で,味野浜と赤崎浜境の入江の埠頭にあり,文久3年(1863)に塩釜明神の御神燈として,また,浜へ出入りする船の夜間照明のための灯台として建てられました。
この地は野崎武左衛門が創始した塩田地帯の東端に当たり,かつては野崎浜と呼ばれ,塩の積出しをする船着場になっていました。

灯明台は桁行1間,梁間1間で,宝形造,本瓦葺の屋根には露盤の上に宝珠が据えられています。高さは約9.7mで,灯室の周囲には欄干を巡らし,その下から四面に裾開きに焼板を張り,基礎部分には花崗岩の切石を用いています。

こうした木造高灯籠形式のものは全国的にも少なく,西洋式灯台に変わる以前の灯台を知ることができる資料として,貴重な遺構となっています

この灯明台は、
倉敷市の重要文化財に指定されているそうです。
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寄り道はここまでにして、島にある灯台ですが、車で行ける鍋島灯台へ向かいます。

岡山市東区九蟠にある、旧九蟠港燈籠です。(訪問日:2019/1/14)
(Canon G1X Ⅲ  F 10.0  S 1/1250  ISO 500)
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蓬埼灯台から、30分くらいかかって旧九蟠港燈籠にやってきました。
現地には説明板どころか標識もありませんでした。
とりあえず写真は撮りました。
(Canon G1X Ⅲ  F 6.3  S 1/1250  ISO 500)
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この
旧九蟠港燈籠ついては、「おかやまの歴史的土木資産」のHPでは以下のように記載されています。

沖新田の東南に位置する九蟠港は、吉井川河口であり、また児島湾入口にあたることから、重要な拠点のひとつでした。この港に出入りする船のため、夜になると灯がともされていたのがこの常夜灯です。花崗岩の切石(きりいし)を丁寧に積み上げたもので、備前の伝統的な石工(いしく)の技術がうかがえます。江戸時代の終わりから明治初期にかけて造られたと考えられます。


次は、旧野崎浜灯明台へ行きます。

2019/1/14に訪問した、岡山県瀬戸市牛窓町に建つ牛窓燈籠堂跡です。
(Canon G1X Ⅲ  F 6.3  S 1/1250  ISO 500)
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岡山と香川の灯台へ行く計画を立てた後に、岡山に江戸時代の灯明台や燈籠堂があるというのを知ったので、無理やり計画の中に組み込みました。
蓬埼灯台の近くに、牛窓燈籠堂跡というのがあるらしいので、今回の灯台巡りはここからスタートです。


1/14、自宅を5時前に出発して阪神高速、第二神明で西へ。
姫路バイパスから国道2号線に出て、ブルーライン(昔はブルーハイウェイと言ってたのだが)と走り、後はナビ任せで行くと、確かに近いのかもしれないが、まあすごく狭い道を走らされてしまいました。なぜかこの車のナビは細い道が好きみたいです。


7:25頃 牛窓燈籠堂跡に到着し、五香宮の下に車を駐車。
周りの堤防には、朝早くから釣り糸を垂れている釣り人が大勢いるところで、私だけがカメラを持ってウロウロしていました。
周りの人は誰も気にしてないと思いますが。
(Canon SX70HS  F 8.0  S 1/80  ISO 125)
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横にあった案内板です。
瀬戸市指定史跡だそうです。
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案内板からの転記です。
瀬戸内海を航行する公・私船舶の航行が頻繁となった延宝年間(1673~1681)に、夜間通航標識として備前藩主池田綱政の命により建設されたものである。
出崎の突端の岩盤上に割石積みの基壇を築き、その上に木造の燈籠堂を建ててあったが、明治維新後取り壊された。
(中略)
備前藩が相前後して建設した四か所の燈籠堂の内、完全に残っているのは牛窓と大漂(大多府)の二か所だけである。昭和63年(1988)、現在の燈籠堂が復元された。


昭和63年に復元したものを、完全に残っているというのだろうか?
ちっちゃな疑問です。

縦フレームの一枚。
(Canon SX70HS  F 4.0  S 1/125  ISO 100)
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これから、蓬埼灯台へ向かいます。

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