2024/3/20に訪問した、福岡県の小倉城に建つ幻の白洲灯台かな?
(Canon SX70HS F4.0 S 1/800 ISO 100)
3/20は、ちえ蔵さんの企画で、船で白洲灯台へ渡る予定の日だった。
が、3/18の午前中に早々と中止の連絡がきた。
春の嵐くらいの予報になってるとかで。
私はこの連絡を、田島灯台から戻った時に知った。
まあ、天気の事なんで仕方ないですね。
ということで、3/20の予定が丸々空いてしまった。
どうする?
3/20の朝から大阪へ帰る?
いやいや、もしかして予報も外れるかもしれん、藍島に渡って白洲灯台と大藻路岩灯台の望遠撮影をする?
定期船が出てたら藍島へ渡ると決めて、3/19は「道の駅 むなかた」で車中泊。
風が強くて、時々車も揺れるほどだった。
やっぱり定期船も無理かな?
3/20
8時過ぎ、藍島行きの定期船乗り場にやってきた。
やっぱり。
予想通り、「欠航中」と掲示があった。
せっかくここまで来たので、小倉城に建つ幻の白洲灯台へ行ってみる。
白洲灯台に行く予定だったので、3月に入って白洲灯台の下調べをした。
調べるといっても、ネットでちょっこと調べただけなので、伝聞のまた伝聞です、悪しからず。
この時に、小倉城に幻の白洲灯台があるのを知った。
★★
この白洲灯台は、昭和38年の5市合併による北九州市誕生に合わせて、「白洲」に灯台を建設するために一生を捧げた郷土の偉人「岩松助左衛門」の偉徳を偲ぶと共に水難救助のために尽くした功績を後世の市民に伝えるために建てられたらしい。
岩松助左衛門は、多発する「白洲」の周囲の浅瀬への乗り上げる海難を防ぐため、江戸時代末期から明治時代初期にかけて私財を投げ打って、この灯台の建設に奔走したが、明治5年(1872年) 建設工事が始まるも完成を見ず亡くなる。
その後政府に引き継がれ、11月の仮点灯を経て明治6年9月に正式灯台となる。
どうも建てられた初代灯台は、岩松助左衛門が発案したものではなく、明治政府が依頼したリチャード・ヘンリー・ブライトンの設計によるものだったらしい。
ここに、当時の灯台の写真がある。
では、小倉城に建つ白洲灯台とは何?
岩松助左衛門が明治政府に提出した図面をもとに建設した、幻の白洲灯台ということになるのかな?
★★
8時半ごろ、小倉城の駐車場へ停める。
城内へ。
ネットの情報では、小倉城は朝9時開門となっていたが開いていた。
6:00に開くようだ。
白洲灯台の場所も記載されていた。
ここの右手方向だった。
見えた。
小倉城内に建っていても何の違和感もないたたずまい。
(Canon SX70HS F 4.0 S 1/400 ISO 100)
近くまで行っての一枚。
(Canon SX70HS F 4.0 S 1/250 ISO 100)
この幻の白洲灯台の正式名称は、「白洲灯台岩松翁記念塔」ようだ。
納得。
最後は後ろ側からの一枚です。
(Canon SX70HS F 4.0 S 1/1000 ISO 100)
さあ、今から大阪へ帰ります。
ではでは。
灯台訪問一覧表は以下。
【北海道・本州編】
【四国・九州編】
訪問灯台と車の駐車場所の地図はこちら。
(Canon SX70HS F4.0 S 1/800 ISO 100)
3/20は、ちえ蔵さんの企画で、船で白洲灯台へ渡る予定の日だった。
が、3/18の午前中に早々と中止の連絡がきた。
春の嵐くらいの予報になってるとかで。
私はこの連絡を、田島灯台から戻った時に知った。
まあ、天気の事なんで仕方ないですね。
ということで、3/20の予定が丸々空いてしまった。
どうする?
3/20の朝から大阪へ帰る?
いやいや、もしかして予報も外れるかもしれん、藍島に渡って白洲灯台と大藻路岩灯台の望遠撮影をする?
定期船が出てたら藍島へ渡ると決めて、3/19は「道の駅 むなかた」で車中泊。
風が強くて、時々車も揺れるほどだった。
やっぱり定期船も無理かな?
3/20
8時過ぎ、藍島行きの定期船乗り場にやってきた。
やっぱり。
予想通り、「欠航中」と掲示があった。
せっかくここまで来たので、小倉城に建つ幻の白洲灯台へ行ってみる。
白洲灯台に行く予定だったので、3月に入って白洲灯台の下調べをした。
調べるといっても、ネットでちょっこと調べただけなので、伝聞のまた伝聞です、悪しからず。
この時に、小倉城に幻の白洲灯台があるのを知った。
★★
この白洲灯台は、昭和38年の5市合併による北九州市誕生に合わせて、「白洲」に灯台を建設するために一生を捧げた郷土の偉人「岩松助左衛門」の偉徳を偲ぶと共に水難救助のために尽くした功績を後世の市民に伝えるために建てられたらしい。
岩松助左衛門は、多発する「白洲」の周囲の浅瀬への乗り上げる海難を防ぐため、江戸時代末期から明治時代初期にかけて私財を投げ打って、この灯台の建設に奔走したが、明治5年(1872年) 建設工事が始まるも完成を見ず亡くなる。
その後政府に引き継がれ、11月の仮点灯を経て明治6年9月に正式灯台となる。
どうも建てられた初代灯台は、岩松助左衛門が発案したものではなく、明治政府が依頼したリチャード・ヘンリー・ブライトンの設計によるものだったらしい。
ここに、当時の灯台の写真がある。
では、小倉城に建つ白洲灯台とは何?
岩松助左衛門が明治政府に提出した図面をもとに建設した、幻の白洲灯台ということになるのかな?
★★
8時半ごろ、小倉城の駐車場へ停める。
城内へ。
ネットの情報では、小倉城は朝9時開門となっていたが開いていた。
6:00に開くようだ。
白洲灯台の場所も記載されていた。
ここの右手方向だった。
見えた。
小倉城内に建っていても何の違和感もないたたずまい。
(Canon SX70HS F 4.0 S 1/400 ISO 100)
近くまで行っての一枚。
(Canon SX70HS F 4.0 S 1/250 ISO 100)
この幻の白洲灯台の正式名称は、「白洲灯台岩松翁記念塔」ようだ。
納得。
最後は後ろ側からの一枚です。
(Canon SX70HS F 4.0 S 1/1000 ISO 100)
さあ、今から大阪へ帰ります。
ではでは。
灯台訪問一覧表は以下。
【北海道・本州編】
【四国・九州編】
訪問灯台と車の駐車場所の地図はこちら。